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【不動産と債権の二極で証券化が進展】

2016年9月6日「火曜日」更新の日記

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 日本の不動産証券化の流れは、“不動産”と“債権”(貸し付け債権及び一 般債権)との二極で進展してきましたO  1871年(明治4年)の地租改正では農地の“地券”が発行され、これこそ が元祖不動産の証券化という人もいます。 1931年(昭和6年)には抵当証券 法が施行されています。昭和恐慌下の当時、不動産の値下がりが生じ銀行の 不良債権を処理することをねらいに同法が施行されました。いまと同じよう なことを歴史は繰り返しているわけです。抵当証券は、バブル期に大量に発 行され高利回りのため投資家の人気を集めましたが、不動産価格の下落のた め、破綻・縮小に追い込まれてしまいました。ちなみに昭和恐慌の不良債権 は、戦争が起きたためインフレになり結果的に解決しています。 87年3月に 後述するように不動産の小口化商品第一号が発売され、この仕組みは、95年 施行の不動産特定共同事業法へと引き継がれます。  さて“債権”の例を見ると次のような流れになります。  73年に旧住専の「住宅ローン債権信託」の流動化、74年に金融機関による 「住宅抵当証券」の発行、89年に地方公共団体向けの貸し付け債権の「地方 債証書」の発行がありました。  このころは、金融機関がBIS規制を達成するため、膨らんだ資産を削減す る目的で貸し付け債権を流動化させることがさかんでした。しかし、95年の 兵庫銀行の破綻、96年の住専国会のころになると金融機関の不良債権の流動 化に焦点が移りました。 95年7月の東京三菱銀行の担保不動産の証券化を第 一号として各行から流動化のスキームが次々と発表されました。最終的にこ れらは、発行する金融機関がリスクを取っている形となっており、中途半端 な証券化といえます。  金融機関の破綻が現実化(97年山一証券倒産)するなかで、政府としても 重い腰をあげざるを得なくなり、担保不動産などの流動化を主目的に、98年 6月に旧SPC法が制定されることとなります。

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