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団らんの欠落は言葉の発達を遅らせる

2018年3月4日「日曜日」更新の日記

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 団らんの欠落は、からだに対してだけでなく、言葉や知能の発達にも影響を与えている。  狭い家の中で家族が下宿人同士のようにバラバラに生活していると、対話は生まれてこない。 対話がないと言葉が発達しない。 またゆっくり話をする機会がなければものごとを考える必要も生まれない。  心理学者や児童教育の専門家の話によると。 父と子の対話が子どもの成長にとって欠かせないという。 母と子は日常的に密接な関係にあり一体化しているが、父は子をおりあい客観的に見ており、互いに社会的な存在として話をする。 デパートの食堂などでよく見られる光景では、母親は子どもを自分の隣に座らせ、父親は自分の前に座らせるという。子どもを自分の付属物のようにとらえているか、別個の存在として認識しているかの違いであろう。  幼児期の家庭環境と小学2年時の学力との相関関係を41人の子どもについて調べてみた。 これによると幼児期に親子の対話をよくしていた子どもほど成績がよい。とりわけ父と子の対話時間の差による影響が大きいことに気がつく。  父母のどちらがより大切ということはいちがいにいえまい。 子どもにとってはもちろん両方の接し方が必要なのであろう。 しかし、子どもの言葉の発達には、何も言わないでも理解してくれる母親より、自分の欲求や状態を説明しなければならない父親の存在が重要だということをこの調査結果は示しているのであろう。  そして考えてみれば、家族との対話は、子どもたちにとって最初の集団活動であり社会参加である。 家族が子どもの成長にとって大きな存在であるのは当然というべきであろう。の父親は、「定時制市民」といわれるくらい家にいない。 どうして家にいないのか。  遠距離通勤がひとつの原因であることは明らかだ。 大都市などではそれが最大の原因といってよいかもしれない。 買ええば遠くへ行かざるをえない。 そのローンを返すために残業を続けるということもあろう。 ここにも現在の住宅事情が忍びこんで家庭の団らんを奪っている。 そのほかに私は、最近の家には書斎がないことも作用しているのではないかと考えている。  会社から帰っても家の中でゆっくりすることができないと思い、あるいはラッシュアワーを避けて、新宿や梅田でつい一杯やってから帰るというサラリーマンも多いのではないか。  近頃のビジネス社会は驚くべき速さで変化している。  情報革命だ流通革命だOA機器の導入だというふうに。 父親はその変化に対応するために勉強しなければならない。 しかし家には書斎がない。 父親専用の机すらないというのが多くの家庭の現状だろう。 これでは社会の変化についていけない。  書斎がなければ「、父親のための書斎コーナーだけでも確保する必要があると思う。 そうすればちょっとした仕事は家でやれる。 勉強もできる。 父親もすこしは早く帰る気持にもなろう。  また、居間が小さいことも親子の対話をさまたげている。 小さな居間の中では、だれかがテレビをつけるとその場の全員がテレビを見ざるをえなくなってしまう。 母親が「テレビばっかり見ていないで勉強しなさい」と、子どもを個室に迫いやってしまう。ますます対話はできなくなる。 私はイギリスに留学中、下宿生活をしていた。 その家は公務員の家庭だったが、居間は30畳ぐいはあった。 大きな部屋だから、家族全員が集まってきてもそれぞれに別々のことができる。 気にもならない。 そして必要があれいつでも声をかけて話し合うことができる。 その家の主は研究者であるにもかかわらず書斎はもっていなかった。 彼はいつも居間の片隅の大きな机で書き ものや読書をしていたが、その合問に家族と話もしていた。 これが居間のひとつのあり方だろと思う。 居間はまず広くなくていけない。 20畳は必要だろう。 子ども部屋は小さくでよい。 居間が広ければ子どもはそこで勉強する。 対話もできる。 だれかがテレビを見ても、邪魔にならない。 どうしても1人になりたければ、個室へ引っこめばよい。  居間は、日照・通風などを考慮してできるだけ快適にしなければならない。 居間の快適さが、家族団らんの条件のひとつでもある。

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