街の雰囲気の大切さ
2018年3月8日「木曜日」更新の日記
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- 私たちの祖先が営々と築き上げてきた英知を子どもたちに伝えていくということは、非常に大切な教育の側面である。
だからこそ教科書には正しいことを書かなければいけないのである。
それと同時に、価値の伝達は歴史的環境や自然などによっても行なわれるとも書いた。
自然は一朝一夕にできるものではないし、歴史的環境も私たちの祖先が長い年月にわたって蓄積してきたものだ。
それらに接することが人間の心を豊かにする。私はときどき山に登る。
六甲山ぐらいのあまり高い山ではないが、それでもそこにはよく茂った森がある。
うっそうとした木々に囲まれた山道を歩いていると、いかに自分が小さい存在であるかを知らされる。
何千年、何万年と続いてきた自然の中で、自分の寿命はせいぜい7、80年という小さな存在なのだなあと実感する。
自然に対する畏敬の念が意識せずとも湧き上がってくる。
京都という街にノーベル賞学者が輩出して話題になったとき、作家の井上ひさしさんは、京都の街には歴史があって美しいから、と言っていたように記憶する。
確かに京都には、ヨーロッパの街と同じように、ただぶらぶらするだけで気持が落ち着いたり楽しい雰囲気にさせてくれる場所がたくさんある。
そういう京都の街の歴史的雰囲気が、新しい発想を育てるなど、学問にふさわしい条件をつくり出しているのかなと思う。
むろん、京大の官僚養成校という性格に対し、京大には学問の府としての自由な精神、反権力的思考があって、それらが作用していることも大きいとは思う。
しかし残念ながら今日、わが国では、そういう人間の心を育てる自然や歴史的環境が非常に少なくなっている。
都市近郊の海岸線や野山もすっかり失われてしまった。
私の勤めている神戸大学は瀬戸内海に面しているが、この大学の「海の家」はなんと日本海側にある。
海はすぐそこに見えているのに、車で4時間もかけて「海の家」へ行かなけれぱならないのだ。
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