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老後の世界を疑似体験

2018年5月26日「土曜日」更新の日記

2018-05-26の日記のIMAGE
 何年か前、私は女性建築技術者の会の仲間たちと、ある住宅メーカーの研究室で、老後の世界を疑似体験したことがあります。  手足におもり、目にゴーグルなどの装具をつけ、高齢者が日常生活のさまざまな場面で感じる不自由さを、身をもって体験する、いわばインスタント・シニアというわけです。  装具は、耳せん、白内障のように視界がにごるゴーグル、両ひじ用の空気サポーター、きき腕に1キロのおもり、足首には関節がかたくなった場合を想定しての固定サポーター、などです。これらを身につけることにより、からだの機能を80歳くらいのお年寄りと同じていどに低下させ、そのうえで家のなかを歩いてみたり、階段を昇り降りしたり、街を歩いてみるのです。  まず耳。「耳が遠くなる」ということは、踏切の音や水の音が、高音はくぐもり、雑音と混じりあって、個々の音が聞きとりにくくなる、ということがわかりました。  次に目。視界のわるさには、びっくりさせられます。目の前に霧がかかったような感じで、全体が黄みをおびたような世界が広がります。そんな状態では、室内の段差やでこぼこなどが、ひじょうに識別しづらくなります。  足もとすらはっきり見えないので、階段の、とくに降りるときは、一歩一歩探るような状態になります。両足首につけた関節サポーターのせいで、バランスをとりにくく、つえをたよりにゆっくりと降りなければなりません。  そのまま外に出ると、一瞬視界がまっ白になり、足がすくみました。白内障の目に、昼間の日ざしは刺激が強すぎるようです。交差点に目をやると、信号機の色が見えにくいのです。とくに青は暗く沈んだようになり、点灯しているのか、いないのか判別がつきません。お年寄りの交通事故が多いのもこのためなのか、と考えさせられたものです。  きき腕におもりをつけているために、動作もにぶくなります。バッグのなかの財布から小銭を取りだすのもひと苦労ですし、ちょっと高めの棚からモノを取ろうとしても、自分の感覚とちがって、取ることができません。  両足首にサポーターが固定されての歩行ですから、すり足のよちよち歩きしかできず、ちょっとしたでこぼこにつまずいてしまいます。  次に、車イスに乗って、自分で勣いてみます。 廊下の幅やドアの開口部では、どのくらいの場所が必要かを、体験で理解するわけです。  なだらかに見えるスロープが、車イスだと加速がついて、とてもこわく感じました。ぎゃくに上がる場合には、強い腕力がないと自力では困難です。便器や浴槽への移助も、たいへんなことがわかります。  頭ではわかっているつもりでしたが、これらを体験してみて、あらためてショックを受けました。 敷居のわずか5ミリの段差にも、つまずいてしまったのですから。  この体験を、今後の仕事におおいに役立てたいと思ったものでした。

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